The longest story

先日の、テレビメディアの限界を書いていて、思った事。

テレビというメディアは、時間的な制約、多面的に見られないという制約、能動的に関わる事ができないという制約がある。録画でもしない限り、決まった時間にしか見る事が出来ない。また、放送時間も長くて2時間程度だ。放送内容は、番組制作者が解釈し、意図した内容であり、一面的だ。もちろん、多面的に分析している番組もあるが、それでもその番組の枠、制作者の枠を超える事はない。そして、自分が能動的に関わる事もない。

テレビが如何に素晴らしい物語を伝えようとしても、映像と音声を視聴者に届けるしかない。そして視聴者はそれを、目を開けて、口も開けて、ただ眺めるだけだ。テレビの限界、テレビが伝えることができる物語の限界、というものがある。

ならば、もっと素晴らしい物語、もっと大きな物語はないのだろうか?

映画はどうだろう?

テレビと似ているが、大画面で、集中できる環境で、一つの物語を体験できるという利点がある。素晴らしい物語も多いが、中には時間泥棒と言いたくなるような物語もある。しかも、上映時間は概ね2時間と、体験できる時間も限られている。

 

本はどうだろう?

テレビや映画よりも、表現力は劣るが、映像と音声で伝えられないものも、伝えることができる。“誰もが見とれて、息をするのも忘れてしまうほどの、絶世の美女”と書けば、まぁ大抵の人は頭の中に思い描くことができる。しかし、それを映像で伝えるのは、好みや人種などの差異があるため、難しい。
他にも、時間的な制約が緩いという利点がある。

しかし、やはり本も一面的であること、物語の大きさが本のページ数に制約されてしまうことは変わりがない。

 

ネットはどうだろう?

文章・映像・音声全てを使って、伝えることができる。また、一つの視点だけでなく、複数の視点から物語を見ることができる。

例えば、「ケネディ大統領暗殺事件」という物語を調べるとしよう。Wikipediaで調べると、ある程度信頼できる情報がたくさんある。前後の背景を知りたい場合、リンクをクリックしていくだけで、膨大な情報を得ることができる。YouTubeで検索すると、暗殺の瞬間の動画も見ることが出来る。Googleで検索すると、陰謀説のページやら、個人が纏めたページやら、膨大な情報が溢れている。さらに、英語で検索をかけることで、英語圏の人々の見方も知ることができる。熱中するあまり、あっという間に数時間が経過してしまう欠点があるが。

このように、ネットでは一つの物語を、多面的に、多層的に見ることが出来る。コメントを書いたり、自分でブログを作ったりすることで、能動的に関わることもできる。

しかし、それでも“ネットの中の物語”である。もっと大きい物語はないだろうか?

 

中国五千年の歴史だろうか、それとも数十万年にわたる人類の歴史だろうか?

それとも、過去46億年前からの地球の歴史だろうか?

 

これらの物語は、とても大きい物語ではあるけれど、自分では体験することができない。

自分で体験することができる、一番大きい物語はなんだろう?

 

それは、“人生”だと思う。

自分だけが体験できる、一番長い物語。
生まれてから今まで、たくさんの楽しいこと、辛いこと、良いこと、悪いこと。自分が体験したこと、感じたこと、思ったこと、考えたこと、行ったこと、全てがつまっている。

他の人はどうか知らないが、自分は、この一番長い物語を、より良いものに、より大切なものに、より素晴らしいものにしようと思っている。

「より良いものに、より大切なものに、より素晴らしいものにする意味はあるのか?」と聞かれたら、分からないとしか言いようがない。たぶん、無いのだろう。

世の中には、最初から大切なものなんて無い。

だけど、時間をかけて、何かを大切に、大切に、大切にすることによって、大切なものができる。大切なものが増えることによって、より価値のある物語、より素晴らしい物語になっていくだろう。

 

どうか、あなたの物語も、素晴らしいものになりますように。

 

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