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京都旅行:顔面についての一考

先日、京都旅行に行ってきた。今まで何回か京都駅に行っていたから、なんとなく行っている気がしていたけれど、実は観光で京都へ行くのは、人生で初めて。八坂神社、建仁寺、清水寺、銀閣寺、哲学の道、寺町通、錦市場と、色々見てきた。

さすが日本有数の観光地だけあって、どこも多くの観光客で賑わっていた。特に多かったのは、修学旅行で来ている、中学生・高校生の数。修学旅行のシーズンなのか(行ったのは6月中旬)、駅に行っても、寺に行っても、店に行っても、どこに行っても、若い中高生で溢れていた。一泊二日の旅行だったが、散々中高生を見て、一つ考えたことがあるので、ここに控えたい。


普通、大人の顔を見ると、色々な情報が伝わってくる。
年はいくつくらいとか、優しそうな人とか、厳しそうな人だとか、おおらかな人だとか、神経質な人だとか。田舎っぽい人やら、都会っぽい人やら、貧乏そうな人やら、金持ちそうな人やら。
顔を見ると、その人の人となりが伝わってくる。

人となりだけでなく、その人がどんな人生を生きているのか、という事も何となく想像できる。充実した人生を送っていそうとか、苦労の多い人生を送ってそうとか、楽しい人生とか、悲しい人生とか、幸せな人生とか、幸薄い人生とか。もちろん、第1印象が全然違う、ということもあるが、概ね合っていることもある。

つまり、大人の顔を見ると、その人の性格や人生が、何となく伝わってくる。


一方、中学生・高校生の顔を見ても、伝わってくることは少ない。

もちろん、整っている顔だったり、(あまり)整っていない顔だったり、利口そうな子だったり、おバカそうな子だったり、ということは伝わってくる。しかし、どんな性格で、どんな人生だろう、ということは、全然伝わってこない。

つまり、顔というのは、はじめから完成して変更の余地がないものではなく、人の性格や人生の送り方で、どんどん変わっていくものではないか。そして、その変化が大人の顔に表れてくるのではないか。身も蓋もない言い方をすれば、人生は顔に出る、と思う。

(性格とか、人生の送り方を変えられるかどうかは別にして)できるだけ良い人生を送って、良い顔になりたいものだ。

追記

参考にするため、“人生 顔”でGoogle検索したら、あまりに「人生 顔が大事」とか「顔が悪いから人生終わっている」という意見が多いので驚いた。僕の考えは以下の通り。

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