一番よく使われるのは内閣支持率。大抵、内閣が誕生したときに最も高く、その後は下がる一方だ。
支持率調査を企画する人、調査をする人、調査に答える人、結果を公表する人、結果を見る人。これらの人々は、支持率にどんな意味があるのか、考えたことはあるのだろうか?
一番よく使われるのは内閣支持率。大抵、内閣が誕生したときに最も高く、その後は下がる一方だ。
支持率調査を企画する人、調査をする人、調査に答える人、結果を公表する人、結果を見る人。これらの人々は、支持率にどんな意味があるのか、考えたことはあるのだろうか?
先日の、テレビメディアの限界を書いていて、思った事。
テレビというメディアは、時間的な制約、多面的に見られないという制約、能動的に関わる事ができないという制約がある。録画でもしない限り、決まった時間にしか見る事が出来ない。また、放送時間も長くて2時間程度だ。放送内容は、番組制作者が解釈し、意図した内容であり、一面的だ。もちろん、多面的に分析している番組もあるが、それでもその番組の枠、制作者の枠を超える事はない。そして、自分が能動的に関わる事もない。
テレビが如何に素晴らしい物語を伝えようとしても、映像と音声を視聴者に届けるしかない。そして視聴者はそれを、目を開けて、口も開けて、ただ眺めるだけだ。テレビの限界、テレビが伝えることができる物語の限界、というものがある。
ならば、もっと素晴らしい物語、もっと大きな物語はないのだろうか?
人口減少自体は、それほど問題ではない。
人口減少は、“量”の変化ではあるが、“質”の変化ではない。もちろん、人口減少に付随するテクニカルな問題(下に詳述する)は存在するが、人口が半分になっても、生活水準が半分になるわけではない。GDPが半分になっても、収入が半分になるわけではない。
「増税の前に、無駄の削減が先だ。」
という声をよく聞く。
一見正論に聞こえるが、問題は、“どこまで”という期限が示されていない点だ。
「どうして?」
「何故?」
僕は子供の頃、こんな質問ばかりして、親を困らせていたらしい。まぁ、今もそんなに変わらないけど。
物事には、必ず原因と結果がある。或いは、必ずあるだろうと考えられている。
例えば、空は青い。空が青い理由はなんだろう?